ひとりぼっちのおじいちゃま

後期高齢者で身寄りがなくて一人暮らしをしている、おじいちゃんとの交流を綴ったボランティア日記です。

後期高齢者のおじいちゃまと知り合って、身寄りがない高齢者の生活が、どんなに大変か身近に感じるようになりました。出会った頃、孤独死を覚悟していたおじいちゃま。残り少ない人生なのは分かっているけれど、残り少ない人生だからこそ、少しでも楽に、日々の暮らしに楽しさを見出してもらえるよう、手助けできたらいいなと思い交流を始めました。尚、交流記作成にあたって、おじいちゃまの個人的な情報を記載しておりますが、記載の許可は、おじいちゃまにいただいています。

おじいちゃまの両親

NKJ56_ameyoko_TP_V4.jpg
おじいちゃまの家族構成は複雑で、これまで聞いた話だけでもグルグルしていましたが、昨日の電話で話してくれたことも、人生を諦めてしまっていた要因のひとつなのかなと思いました。

おじいちゃまは3人兄姉です。

おじいちゃまが小さい頃、両親は離婚して、3人ともお母さまに引き取られたそうです。おじいちゃまが以前話してくれた内容と総合すると、離婚した時に、熊本から東京にでてきたんだと思います。当時のお母さまの年齢が30歳くらいだったというので、戦後73年、80歳のおじいちゃまの年齢から逆算すると、戦後まもない頃の話ではないかと思います。

お母さまは、3人の子供を育てながら保険の外交員をしていたそうです。それだけではとても貧しく、他にも色々な商売をしていたそうですが、中でも思い出に残っているのが、九段下に住んでいた頃にしていた駄菓子屋だそうです。当時の駄菓子ですから、10銭とかそんな時代でしょうか。戦後まもない時代に子供達が買えるくらいの御菓子です。儲けも少なかったと言ってました。当時、子供だったおじいちゃまが、アメ横に駄菓子を仕入れに行っていたそうです。懐かしそうに話してくれました。

それと覚えているのは、よく裁判所に行っていた事だそうです。養育費を払ってくれない、払ってもすぐに滞る父親に、督促したかなにかだと思います。父親からの養育費は、払われることなく終わっていったみたいです。

後に、記憶をたよりに熊本の役所に手紙を書いて、父親の戸籍謄本を取り寄せたそうですが、(おじいちゃまが次男のはずなのに)そこに知らない次男の名前が記載してあり、再婚して子供がいる事を知り、とてもショックだったと言っていました。

お母さまも既に亡くなっているので、父親ももう亡くなっていると思います。でも実際は、血の繋がりのある自身の兄姉、そして子供達がいて、父親だけの血とはいえ半分血が繋がっている兄妹達がどこかにいのに、天涯孤独の身だからとしか言えないおじいちゃまの気持ちを思うと、なんだか切なくなりました😢